いつまで「二つの中国」に縛られるのか 利用者の利便性を考えワンコードコンセプトの完全実施を

旧ブログからの移行記事です。
この一つ前の記事にかなりのコメントが付いたため、コメントへの個別返信の代わりに記事としたものです。
本記事は2007年当時に旧ブログで公開した記事に加筆修正をしたものであり、現在の状況とは異なります。
そのことを踏まえたうえでご覧ください。

日中航空協定(日本国と中華人民共和国との間の航空運送協定) とは

コメントの中で触れられていた、「日中航空協定」。
その内容は次のリンク先にて確認することができます。

日中航空協定(日本国と中華人民共和国との間の航空運送協定)
リンク先:データベース『世界と日本』 戦後日本政治・国際関係データベース 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室

内容を読む限り、中国だからといって特殊な内容が書かれているわけではありません。
他の地域の航空協定も資料としてみたことがありますが、ほぼ、同様なもの。
この協定だけでは台湾・中国を同じ航空会社が運航することが不可ということにはなりません。
では、なぜ、運航できない状態が続いているのでしょうか。

「二つの中国」の恐れが生じないよう、日本側でなしうる範囲の適切な措置

1st 100th Aircraft Delivered to China Airline @ LGB
photo by IPJ Mike
1974年1月、日中航空協定の締結に先立ち、大平外務大臣(当時)の訪中により、日本中国間をNational Carrier とし、日台空路をLocal Carrierとする旨の取り決めがなされました。
これが、現在、日本でJALグループは日本アジア航空、ANAグループはエアーニッポンが他の国際線とは別に台湾路線の運航会社として存在している理由です。
この措置には、1974年4月から約1年半もの間日台路線が維持できなくなり、その後、中華航空のみが羽田空港へ取り残される原因にもなった、台湾の青天白日旗を国旗と認めないことが含まれていました。

その後、中華航空は2002年4月に成田空港へ移転しました。その際には既に現在の塗装になっており、尾翼から青天白日旗はなくなっています。
日本アジア航空が設立された経緯も、この措置によるもので、台湾路線の運航を担当する別会社を設立しなければならなかったからであり、これは、日本航空が民営化前であったことによるNational Carrierによる運航ができないことによるものでした。

1974年当時の諸外国の対応は? 取り残されるANAと日本航空

「二つの中国」問題。
台湾と中国両方に就航していた航空会社にどちらか一方のみの就航しか認めなかった中国政府。
実際に、東南アジアとアメリカ以外から台湾に就航していた会社はどのような方策をとったのでしょう。
ヨーロッパの会社でとられた方法が「別会社を装った別の名前の会社名の塗装を施した専用機材で運航」すること。
一部ドイツルフトハンザのように系列会社が運航していた例もありますが、日本とは異なる手法で切り抜けていました。
韓国も一時、運航できない状態になりましたが、2007年現在では台湾、中国両方に就航していました。

一方、日本。
日本アジア航空、エアーニッポンともにいまだに台湾路線の運航を続けています。
このような方策をとるのは現在では日本だけです。

ワンコードコンセプト完全実施によるエアーニッポン台湾路線ANA便名化で「二つの中国」は生じるのか?

エアーニッポンが運航する日本-台湾路線。
もし、ANA運航とした場合、「二つの中国」問題が再燃する恐れはあるのでしょうか。

これは、今までの日本、台湾、中国の関係を検討していくとありえないと私は考えます。

日本国内各地の空港で台湾、中国両方の会社がかつてのような調整時間(台湾と中国の航空機が同一時間帯に存在しないようにするための配慮)を組まないスケジュールにて運航していることや、、中部・関西から運航されている天津・広州・青島・厦門路線がエアーニッポン運航によるANA便名であることを考えても「二つの中国」問題が再燃する恐れは低いのではないでしょうか。
エアーニッポンが1994年に就航した福岡-台湾線の運航会社はANA又はエバー航空でした。

顧客の利便性が無視された台湾路線

2007年、ANAでは、中国就航20周年を記念し、LIVE/中国線就航20周年/ANAと銘打ってキャンペーンを実施していました。
実際にANAが中国線を運航するようになったのはチャーター便が1972年、その後、国際定期便が運航できるようになったのは1987年とかなりの時間がかかりました。もちろん、これには、中台間の問題だけでない側面もありますが、ANAが中国線就航のためにかなりの気を遣っていたことは周知の事実です。

一方、取り残されたのが台湾路線。
ANAグループでは、広告宣伝活動らしいことをしているとは言い難い状況。
スターアライアンスメンバーとして当然要求されるアライアンス間の利便性向上にも台湾路線は全く寄与していません。

日本航空グループに差をつけられる台湾マーケティング

一方、日本航空グループでは、かなり以前から台湾の広告宣伝活動を強化しています。
志村けんやオセロ、金城武を起用したCM展開活動等に加え、2007年4月からは日本アジア航空自身がワンワールドメンバーとなることにより、ワンワールドアライアンス全体へ寄与しています。
ANAが台湾路線を現状のまま放置することは、顧客の利便性だけでなく、スターアライアンスでのANAに対する期待に背く行為です。

ANAは台湾路線の一刻も早いANA便名化の実現を

台湾と中国の直行便就航はチャーター便や貨物便で既に行われており、2006年9月の台湾中正国際空港から台湾桃園国際空港への名称変更など、 徐々に条件が整いつつあります。
直行定期便が運航されるようになれば、航空協定に関わる「二つの中国」問題は全て形骸化するわけで、時機を逸することなくワンコードコンセプトの完全実施をANAには求めたいところです。

記事執筆にあたり次の資料を参考にしました。
関東学院大学『経済系』第222集(2005年1月)
日中国交正常化と台湾政権 Normalization of Japan-China Relations and Taiwan Regime
殷燕軍 YIN Yan Jun

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